内村鑑三とキリスト教信仰(無教会)を紹介する個人サイトです。

内村鑑三を読む

内村鑑三を読む

※記録自体は2003年前後に、18歳頃に始まったキリスト教と無教会の出会いを25歳頃の私がまとめたものです。信仰や宗教にナイーブで免疫のない現代の日本人。そういった我々日本人が苦難に出会ったとき、容易に虚無・絶望に至ります。キリスト教に一時は絶望し混乱した私が無教会キリスト教に漂着した私の体験が、ひょっとして未だに何かのお役にたてるのではと考えて掲載を続けています。

内村鑑三の代表著作と文書伝道についての簡単な話から、なぜ無教会キリスト教のイメージをつかむ際に彼の文章が有益なのかについて解説をします。さらに内村鑑三と他の無教会クリスチャンの著作を読みたい方への簡単なアドバイスもあります。 なお、「無教会について」の中の内村の言葉も参考にしてください。

著作と全集

内村鑑三(1861-1930)は日本を代表するクリスチャンとして、国内で最も多くの著作をのこしています。その処女作である「基督信徒のなぐさめ」(キリストしんとのなぐさめ、と読む)や彼の回心の過程を日記形式で記した「余は如何にして基督信徒となりし乎」(よはいかにしてキリストしんととなりしか、と読む)は岩波文庫に収められていることもあってか、よく知られています。

また知られざる名著として「求安録」があります。他には「地人論」「後世への最大遺物」「代表的日本人」「キリスト教問答」などの著作が知られています。大部分はまだ岩波文庫などから入手可能です。1ページに聖書の言葉(聖句)と内村の言葉をペアにして、1日1ページ、1年分365ページで構成される「一日一生」は近年教文館から再刊されました。

彼の死後にも、内村の著作は聖書注解全集、信仰著作全集、日記所感全集が教文館から出版され、全集が2度にわたって岩波書店から刊行されました。

歴史の教科書には「内村鑑三不敬事件」や日露戦争での「非戦論」で彼の名前が知られているようです。例えば、「詳説 日本史研究」(山川出版社,旧版)には363ページに内村鑑三の非戦論の事が、383ページには内村鑑三不敬事件についての話があります。

伝道雑誌

内村鑑三は1900年に彼の生涯の仕事となる月刊の雑誌「聖書之研究」(せいしょのけんきゅう)を発刊し、死ぬまでこれの主筆を勤めました。初代の無教会クリスチャンの方々もこの雑誌に記事を寄稿されています。

この雑誌が彼の収入源のほとんどすべてであって、この雑誌が彼の生涯の伝道と信仰のすべての表明であったと聞きます。

無教会クリスチャンは各人がおのおの伝道雑誌を執筆・発刊する傾向がありますが、この習慣は内村の聖書之研究に始まっているようです。実際、2代目の無教会クリスチャンの多くはこの「聖書之研究」を読んで非常に心打たれ、キリストを主と仰ぐ信仰を得たようです。

内村の死後も、多くの先輩方が「聖書之研究」をはじめ無教会クリスチャンの著作をいつかどこかで手に入れて、読んでみて、人生の決定的な転換を迎えています。

わたしも、内村鑑三の短文をよんで、教会から離れて、キリストからも離れそうになっていた時に、信仰がとぎれずに生き延びた経験があります。

決して太い信仰ではありませんが、細くとも切れずに信仰が維持できたのは、神さまが私に働きかけてくださった結果と受け止めています。主イエスが、わたしが信仰を捨てそうなのをみて、内村鑑三を紹介してくださったと感じています。

聖書講義

内村鑑三は、内村聖書研究会においては主日礼拝の聖書講話をおこなってもいました。聖書之研究の発刊と主日礼拝での聖書講義が彼の伝道の二本柱でした。

「彼が内村先生だよ」と言われなくても、一目見ただけで「あ、彼が内村鑑三か!」と分かるほどの強烈な印象を皆に与えた人物と聞きます。そしてその聖書講義で内村は、自己の心臓を削り取るがごとく必死の講話を行いました。福音の喜びに溢れて。

彼は「この喜びの福音を皆に伝えなければ、その喜びの余りにわたしの心臓は破裂してしまうであろう」との主旨の文章を残しています。彼の福音を知る喜びは、まさにその通りだったのだろうと思います。

ものすごい迫力で聞く人は圧倒されてしまったと聞きます。文芸評論家の富岡幸一郎氏が内村鑑三の「信仰のダイナマイト」という言葉を引用して、内村鑑三自身がまさにこの「信仰のダイナマイト」を持つクリスチャンであったと評しています。内村聖書研究会には最大で700人ほどの参加者があったそうです。

内村鑑三の文章から無教会を知る

彼の文書伝道はものすごい迫力があり、この伝道により、おおくの方々がキリスト者となりました。また無教会という信仰のあり方は彼の生き方、信仰のあり方がきっかけとなっています。また彼の著作から私はいろいろ教えられ、無教会という信仰のあり方を神に示され励まされました。父なる神が私に内村鑑三を紹介して下さいました。わたしの信仰が亡びないためでした。

ですから、わたしは内村鑑三の文章をここで紹介することに意味を感じています。今のキリスト教会にかけている部分を補うことが出来ると思うからです。そしてそれにより、弱っているキリスト教信仰が強められるクリスチャンは少なくないと信じるからです。100年程前の古い文章ではありますが、あなたの今、ここでの助けや励ましとなれば幸いです。

内村鑑三の文章を読んでみる

初めて内村鑑三の文章に接するのにちょうど良い短文を集めました

読むべきもの、学ぶべきもの、為すべきこと

読むべきものは聖書である、小説ではない、政論ではない、然(しか)り、神学ではない、聖書其物(そのもの)である、神の言(ことば)にして我(わ)が霊魂の声なる聖書である、聖書は最も興味深き最も解(げ)し易(やす)き書である、世々の磐(いわ)より流れ出(い)づる玉の如(ごと)き清水である、之(これ)を哲学的に解釈せんとせず、之を教会の書として読まず、神が直接に霊魂に告げ給(たま)ふ言(ことば)として読んで、聖書は其(その)最も明瞭(めいりょう)なる意味を我等(われら)に供給する、我等はすべての物を読むのを止めても、然(しか)り、時々すべての物を読むを止めて、一意専心聖書を読んで之をして我等の霊魂を活(い)き復(かえ)らしむべきである。

学ぶべきものは天然である、人の編(あ)みし法律ではない、其(その)作りし制度ではない、社会の習慣ではない、教会の教条(ドグマ)ではない、有りの儘(まま)の天然である、山である、河である、樹である、草である、虫である、魚である、禽(とり)である、獣(けもの)である、是(こ)れ皆な直接に神より出(い)で来(きた)りしものである、天然は唯(ただ)天然ではない、神の意志である、其(その)意匠(いしょう、→工夫を凝らすこと)である、其中に最も深い真理は含まれてある、天然を知らずして何事をも知ることはできない、天然は智識(ちしき)の「いろは」である、道徳の原理である、政治の基礎である、天然を学ぶは道楽ではない、義務である、天然教育の欠乏は教育上最大の欠乏である。

為(な)すべき事は労働である、口を以(もっ)てする伝道ではない、筆を以てする著述ではない、策略を以てする政治ではない、手と足とを以てする労働である、労働に由(よ)らずして智識以上の智識なる常識は得られない、労働は労働としてのみ尊いのではない、信仰獲得井(ならび)に維持の途(みち)として、常識養成の方法として、愛心喚起の手段として又最も尊いのである、キリストに於(お)ける信仰は文に頼(たより)て維持することは出来ない、語るを知て働くを知らざる者は大抵は遠からずしてキリストを棄(すて)る者である、福音は神学ではない労働である、聖書の最も尊き注解は神学校より来る者にあらずして、田圃(たんぼ)より、又は工場より、又は台所より来る者である、労働なくして身は飢え、智識は衰(おとろ)へ、霊魂は腐る、労働を賤(いやし)む者は生命を棄る者である、労働是れ生命と云(い)ふも決して過言ではない。

(明治41年、聖書之研究)フリガナは底本のものと管理人によるものがあります。強調文字は管理人

「求安録」より

私は平安を手にする道を知っている。
けれども道を知っていることは必ずしも道に入るのではない。
キリストにおける信仰は、私を罪から救うものである。
けれども信仰もまた神の賜物である(エペソ2:8)。

私は信じて救われるだけでなく、また信じさせられて救われるものである。
ここにいたって、私は全く自分自身を救う力のないものであることを悟った。
それでは私は何をなそうか。
私は私の信仰をも神から求めるだけ。

キリスト信徒は絶え間なく祈るべきである。
まことに彼の生命(いのち)は祈祷である。
彼はまだ不完全なのだから、祈るべきである。
彼はまだ信仰が足りないのだから、祈るべきである。
彼はよく祈ることが出来ないので、祈るべきである。

恵まれても祈るべし、呪われても祈るべし。
陰府(よみ)の低きに下げられても、私は祈ろう。
力なき私、私に出来ることは祈ることだけ。

…………………
…………………

さらばわれは何なるか
夜暗くして泣く赤子
光ほしさに泣く赤子
泣くよりほかに言葉なし。

◎内村鑑三は臨終の病床で「自分は十字架にすがる赤子にすぎない」と述懐したという。
彼は「求安録」の最後の詩のように生き、そして死んだのであった。

「内村鑑三『求安録』(1893年内村32才)の最後から(現代語訳)」のプリントよりそのまま引用
◎以下はプリント作成者の注です。

Crucifixianity (十字架教)

キリスト教は根本的に十字架の宗教である。それはただキリストの宗教を意味するのではない。十字架につけられたまいしキリストの宗教を意味するのである。

それは我々に彼のように十字架につけられろと教えるのではない。彼が我々のために十字架につけられたことを教えるのである。

この十字架はただ単にキリスト教のシンボルであるのではない。むしろ十字架はキリスト教の中心であり、すべてがその上に建てられるべき隅の親石なのである。

十字架の上で起こった出来事を受け入れて信じるという状態に至り、約束された十字架の恵みを身に受けて、罪は赦され、罪は完全に滅ぼされたのである。

まったく、十字架なくしてキリスト教なしである。現在まで、キリスト教ではないものがキリスト教として受け入れられてきた。例えば、慈善事業・道徳を説く伝道・西洋的思考、などである(※)。

このため我々はキリスト教を新しい名前で呼ぶことが望まれる。私は「十字架教」をその一例として挙げよう。

もしこの言葉をも新たな神学者たちによって乱用され俗物化させられてしまう時、その時には私はまた新たな名前を考えるであろう。(2004年5月23日訳)

※訳者注:ethical evangelismは道徳を説くだけで、キリストの福音を恥としている伝道とわたしは理解しました。そのため、「道徳を説く伝道」と訳しました。International thinkingはキリスト教が西洋の宗教という間違った理解で、その雰囲気を好んで教会に来る人々に対する批判と、私は理解しました。キリスト教「文化」をキリスト教とはき違えた間違った福音理解です。そのため、あえて国際とは訳さずに西洋と訳しました。この一文で内村鑑三が訴えようとしていることは、十字架を見ずして、キリスト教を何か良い道徳を教える宗教、良いことを行う宗教、西洋文明と混同しているクリスチャンに対する警告ではないかと、私は理解しています。つまり、骨抜きにされたキリスト教にたいする警告です。訳文全体としては、大意は大きくはずれていないと思いますが、もしおかしい点などあればどなたかご教示願います。

<Crucifixianity (十字架教・英語原文)>

Christianity is essentially the religion of the Cross. It is not simply the religion of Christ but the religion of Christ crucified. It teaches us not that we are to be crucified like him but that He was crucified for us. The Cross is not merely a symbol of Christianity; it is its centre, the cornerstone upon which its whole structure rests. Sins forgiven and annihilated on the Cross blessings promised and bestowed on the condition of believing acceptance of what happened upon the Cross: --indeed no Cross, no Christianity. When as at present many things pass for Christianity which are not Christianity --such, for instance, as Social Service, Ethical Evangelism and International Thinking --it is very desireble that we should call Christianity by a new name. I propose Crucifixianity as such; and when it too shall have been abused and vulgarized by new theologians, I will coin another.
明治41年、聖書之研究

歓喜と希望

春は来たりつつある
雪は降りつつある
しかし春は来りつつある

寒さは強くある
しかし春は来りつつある
春は来たりつつある

春は来たりつつある
雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
汝(なんじ)の艱難(なやみ)多きにかかわらず
汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
春は汝にもまた来たりつつある

教会なきキリスト教

キリスト教がきらわるる主なる理由はその教会においてある。多くの人は教会をきらうがゆえにキリスト教を捨てた。しかして今なお捨てつつある。彼らは袈裟(けさ)をきらうがゆえに坊主(ぼうず)を憎むのである。されども坊主と袈裟とは同一のものでない。袈裟をはぎ取るも坊主は残る。キリスト教より教会を引き去りて、残るは完全なる道である。われは道なり真理(まこと)なり生命なりとイエスが言いたまいしその道である。教会という制度的衣装がどろにまみれて見にくしとて、キリストとその福音を捨つる理由となすに足りない。教会なきキリスト教が未来のキリスト教である。パトモスの島に、改造されし世界のさまを示されし預言者ヨハネは言うた、「われ、都の中に聖所あるを見ず。そは主たる全能の神および子羊、その聖所なればなり(黙示録21:22)」と。すなわち天よりくだる聖き新しきエルサレムの都に、聖所すなわち教会あるを見ずとのことである。
1929年3月「聖書之研究」

教会に対する余輩の態度

余輩は自身無教会信者なり。されどもすべての教会に対して深き尊敬を有す。新教(注:プロテスタント)諸教会に対してのみならず、ギリシャ教会に対し、天主(注:カトリック)教会に対して、余輩は深き誠実の尊敬を表す。

余輩は余輩の無教会主義に、ある真理の存するを知る。またすべての教会に、ある他の真理の存するを知る。真理は一人または一団体の占有し得べきものにあらず。余輩もまた余輩の有限微弱なるを知るが故に、余輩の信仰を確守すると同時に、またすべての他の信仰に対し深き尊敬を表す。

故に余輩は教会をこぼたんとせず。能(あた)うべくんばこれを建てんと欲す。これと争わんとせず。能うべくんばこれと協力せんと欲す。余輩は余輩の持てるもの(神の余輩に賜いし)を教会に分かたんと欲す。教会はまたその持てるものを余輩に分かつを得べし。われらは相互に対して強(し)いて敵たらんとするの要なきなり。

もしそれ相互の主義を述ぶるにあって、相衝突するがごときことあらんか、これやむを得ざるなり。かかる場合においては、われらは真理の深き所において互いに相一致すべきなり、そは真理は表面においては衝突することあるも内裡(ないり)においては和合するものなればなり。(以下略)

1906年12月「聖書之研究」、「注:」は管理人による。

キリストの神性 「キリスト教問答」から

 さらば何によって貴下(あなた)はキリストの神性をお認めになったのでありますか。

 私の全有whole beingによってです。すなわち私の実在そのものに省みて、ついに彼を私の救い主、すなわち神と認めざるを得ざるに至ったのであります。

 それはドウいうことでありますか。私にはよくわかりません。

 それは、私は罪人(つみびと)であるということを発見したからであります。私が生まれながらの罪人であることがわかった時に、私は私の理性までを信じなくなりました。罪は人の体と心とを汚すにとどまりません、彼の理性までをも狂わします。生まれつきのままの人の心をもってしてはとうてい神を見ることはできません。彼が神の事をわかろうと思えば、まったく自己(おのれ)を捨てて神の光明を仰がなければなりません。

 その事はわかりました。しかしそれでドウして貴下はキリストが神であることをお認めになったのでありますか。

 自己の罪を恥じ、良心の平安を宇宙に求めて得ず、煩悶の極(きわみ)、援助(たすけ)を天にむかって求めました時に、十字架上のキリストが心の眼に映り、その結果として、罪の重荷はまったく私の心より取り去られました。
 その時に、私は初めて自分らしき者となりました。それから後というものは、私の全体に調和がきたりまして私はその時初めて神の救済(すくい)とはどんなものであるかがわかりました。

 さればキリストに関する貴下のご信仰は学理に基づかずして、実験によって得られたと仰せられるのでありますか。

 そうであります。しかし実験とは申すものの、これは化学や物理学の実験とはまったく性質を異にするものであります。これは道徳的実験であります。
 すなわち良心の必然的命令によって自己を糺(ただ)して見ました結果、自己の、神にそむき、幽暗(くらき)を好む者であることを発見し、この罪人を救うに足るの救い主を求めて、ついにここにキリストに接して、この痛める良心を癒やすに足るあるものを見いだすに至ったのであります。
 そうして私は、罪とは人に対して犯したものではなくして神に対して犯したものであることを知りまするゆえに、この罪の苦悶を取り去ってくれた者はかならず神でなくてはならないことを知ったのであります。

内村鑑三著、キリスト教問答、講談社学術文庫531、72-73pp

「一日一生」から

2月11日
人類のために尽くそうとして世に交際を求める必要は一つもない。私たちは単に独(ひと)りであっても人類のために尽くすことができる。人は何人も人類の一部分である。そのために己に尽くして人類のために尽くすことができる。独り真理を発見することができる、独り神と接することができる、独り霊性をみがいて完全の域に向かって進むことができる。私たちは人類の好(よ)い標本として己を世に提供することができる。単独は決して無為の境遇ではない。

2月21日
天地は広い、人は多い、しかしそのうちただ二人あるのみ。神と私とである。彼は私を愛し、私はまた彼を愛し、私は彼の命(めい)を聞いてすべてのことをなす。私は彼に誉められて喜び、責められて泣く。彼に善(よし)とされることは私の終生の目標である。私は彼と共に働き、彼と栄光と恥辱とを分かつ。彼が崇(あが)められれば私は歓(よろこ)び、彼がけがされれば私は怒る。私は彼に私の手を引かれて彼の造られた宇宙を逍遥(しょうよう)して、そのなかのすべての獣と天空のすべての鳥とを示され、私が生物に名づけたところは、皆その名となる。私はまことに今の世にあって初めのアダムである。私の他に人はいない。ただ神が私と共にあるのみ。神と私のみ。だから私は彼によって万人と万物とを愛す。私は神によらずには何物にもつながらない。また神によってすべての者につながるのである。

10月17日
完全なホームを作るのは、完全な人を造るように難しい。私がまず完全でないから、私のホームが完全である理由はない。「身修而後家斎(みおさまりてのちいえととのう)」。ホームは私が平安を求める所ではなく、平安を与える所である。ホームは幸福の貯蓄所であって、その採掘所ではない。求めようと願って成ったホームは必ず破れる。与えようとして成ったホームだけが幸福なホームである。ホーム、ホーム、幾多の青年男女がその幻影に欺(あざむ)かれて失望の島岸に破船したか。詩人ヴァージルの牧者は「愛」と相知ってそれが岩石であることを知ったと。世に理想的ホームを造れず失望する者の多いのは、ホームを客観的楽園とみなす者が多いからである。

内村鑑三著、「一日一生 新版」、教文館、1997年より
書籍の詳細は「参考図書の紹介」をご覧ください。

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